P沢の言葉のゴミ箱

ただの日記です。Twitter→@P_zawa_YT

2020年度岡山県公立入試国語

お久しぶりです、P沢です。

ブログ書くのが面倒臭くなったのと、しばらく忙しくて更新が遅れてしまいました。

しかしアニメを毎日見る習慣はきちんと健在なので、無事エウレカセブンを見終えることができました。

今日はその感想について書こうと思います。

 

エウレカセブンを見て一番印象に残ったことは「成長」です。

主人公のレントンくんは、まさしく思春期真っ只中の少年です。

物語前半は、レントンくんがゲッコーステイトのクルーとなりそのメンバーからイジ(メ)られるところから始まります。

そして物語中盤では、意中の子のエウレカちゃんに翻弄される毎日。

そして最終局面では気づけばレントンくんは世界を託される始末。なんだかとても可哀想。

そんなこんなでレントンくんは色々なことに振り回されて大人になっていきます。

そんなレントンくんの成長ももちろんこのアニメの見所です。

しかし、成長するのは主人公だけではありません。

このアニメの最大の見所は、レントンくん中心にその他の少年少女、そして大人たちまでも成長していくのです。まるで繰り返す日々の中で変わらない人間などいないかのように。

一番印象的なシーンがあります。

モーリスが、サクヤとノルブのもとへエウレカレントンが歩み寄ろうとする中、その2人について行こうとするメーテルとリンクの腕をつかみ無言で引き止めるシーンです。

モーリスは個性的なキャラクターたちの中でも、特に複雑な心境の変化をします。

戦争孤児である彼は、過去にエウレカによって実の母を殺されており、しかしまだ当時物心のついていなかったこともありエウレカに引き取られた彼は「ママ」としてエウレカに心を許します。そしてゲッコーステイトで暮らす中で、彼は実の母を殺されたということを少しずつ理解し始め、恋心にも近い彼のエウレカへの想いは複雑に絡み合い、常人には理解の出来ない愛憎となり物語の終盤へと差し掛かります。

モーリスはエウレカを受け入れます。レントンそして人間を受け入れ変化するエウレカ。その変化を受け入れられないモーリス。そしてその変化の原因であるレントン銃口が突きつけられます。

しばしばエウレカを「世界」と表現されています。これはもちろん、エウレカ自身が世界を左右する鍵であることを意味していますが、「世界」としてのエウレカは、モーリスやレントンホランド、その他たくさんの人々に変化を与え、そして自身も変化していきます。

これは我々の社会でも同じことが言えます。会社や学校、家庭、そして恋人といった「世界」の変化の中で我々は常に影響を与えられ、そして変化していきます。

パチンコを打って5万を溶かした2時間も、金がなくてただ何もせず過ごしたも1ヶ月も、等しく世界は変化し、戻ることのできない過去を置き去りにして進んでいきます。

そんな世界の変化についていけず、変わらないのは自分だけだと錯覚し、銃口は変化の原因へと向けられます。自分のこめかみです。

モーリスがレントンに銃を向けたのは、レントンが受け入れられなかったからでしょうか。否、モーリスはモーリス自身の変化が受け入れられなかったからです。すなわち、変わってしまった世界とそして変わりゆく自身の整合性が取れず苦しんでいたのです。

そしてその変化を受け入れたとき、人は「成長」したといえるのでしょう。

もし、変化していく社会のなか、自分だけが置いてけぼりに感じてしまっているとすれば、それは「成長」するチャンスなのかもしれません。そしてその成長は世界に影響を与え、また世界に変化をもたらすのです。

 

長時間のお付き合いありがとうございました。

公立入試国語っぽく話まとめてみましたがいかがでしたでしょうか。

途中から自分でも何いってるかわけわかんなくなりました。

またアニメ見たらちょくちょく感想書いてみます。

ではお休みなさい。